家系ラーメンの「ライス無料」はむしろ店にとってありがたい~良いイノベーションとは
マーケティング部の渡辺です。
データやITなどに関するさまざまなことをゆるく書いているコラムです。
「家系ラーメン」はどうしてライス無料なのか
今回は、日常的な話題から「良いイノベーションとは何か」について考えてみたいと思います。
みなさんご存じの「家系ラーメン」(いえけいらーめん)の「ライス無料」が、予想以上によく考えられているように思える、という話をします。
「家系ラーメン」とは(念のため)
説明しなくともほとんど大丈夫だとは思いますが、念のために説明すると「家系ラーメン」とは、店名が「○○家」であることが多い、独特のスタイルのラーメンを出す店のことです。
家系ラーメンは、豚骨と鶏ガラを両方使って作ったラーメンであり、豚骨の濃厚さに鶏ガラの旨みや甘みが合わさったスープ、醤油ダレのカエシによる強い味、チーユ(鶏油)によるコク、そしてコシのある太めの麺、そして海苔が乗っているのも特徴です。
注文時に「麺の硬さ」「味の濃さ(カエシの量)」「油の量(チーユの量)」を選んでコール(独特なフレーズで注文時に好みを口頭で伝える)するのが「家系らしい感じのするスタイル」であり、そして「無料ライスが付いてくる」ことが多いのも家系らしいスタイルです。
横浜がルーツ
家系ラーメンは横浜がルーツで、1974年創業の「吉村家」が独自に工夫して作りだしたラーメンが元祖だとされています。戦前あるいは戦後の食糧難の時期にルーツを持つ全国各地のラーメン(例えば前に話題にした「新潟のラーメン」にはそういうルーツのものがあります)ではなく、それらに比べると比較的最近になって生まれたラーメンです。
今では全国各地でも家系ラーメンは広く知られるようになったと思いますが、例えば関西では21世紀になっても家系ラーメンはまだそれほどの知名度はなかったと思います。東京に来てみると家系ラーメンだらけで、説明しなくても独特の注文スタイルを知っていて当然みたいな感じになっていて、ちょっと驚いたことがあります。
元々は、トラックドライバーをしていたので日本各地を移動していた店主が、博多ラーメンの豚骨と、東京ラーメンの鶏ガラを合体させたら旨いのではないか、ということで考案されたものが評判となって広まったものだと聞きます。今回話題にする「ライス無料」については意図的に考案したものではなく、来ていたお客さんが「B級おなか一杯」的な食べ方である「ラーメンライス」をしていたことがルーツではあるようです。
仕組みとしてよくできていると思える「家系」
少し説明を書いてみましたが、私は家系ラーメンそのものについて特別に詳しいわけではありませんし、説明せずとも皆さんご存じであろうということで説明はこの辺にしておこうと思います。
また私は家系ラーメンが大好きなわけでもなかったりします。あまりにも家系ラーメンの店が多すぎるので目にすることは多いですし、結果的に食べることも結構あります。でも、例えば私が家系ラーメンと二郎系ラーメンのどっちに行くか、となったら二郎系ラーメンに行くことが多いと思います。
というわけで積極的に食べているわけでも味の大ファンであるわけでもないのですが(あまりにも店が増えたために感動するレベルの店と出会えなくなっているからでは?と思うことはあります)、にもかかわらず家系ラーメンのことはずっと気になっていて感心しています。なぜかというと「仕組み」としてとても良くできているなあと思っているからなのです。
独特な注文スタイルによる、店での特別な体験
家系ラーメンの基本には、分かりやすくて濃厚で美味しい味、しっかりおなか一杯になるようなB級グルメ的な基本性能の高さがまずあると思います。しかし、同様な満足があるB級グルメは他にもいろいろとありますし、家系ラーメンは美味しいけれども、他と比べて突出して旨いわけでもなくて、いい感じに及第点ちょっと上くらいの感じがむしろあるとは思います(少なくとも「私個人」はそういう感想です)。
ただし家系ラーメン、初めて食べに行っただけで記憶に残る感じもあります。「麺の硬さ」「味の濃さ」「油の量」をコールして自分好みにカスタマイズして注文するスタイルは独特の体験で、むしろ「あの感じの店」こそが家系だという印象ですらあります。
しかもコールは「固め・濃いめ・少なめ」のような、「私はわかっている客として注文しているぞ」の感じもちょっとできる「雰囲気のある」ものです。食事体験に注文する客側からも参加する感じもあります。
専門用語を使うことで雰囲気を出すやり方は他でも見られ、例えば餃子の王将で店員が注文を受けたあとの店員同士のコールは、敢えて日本語にせず「イーガーコーテル、ソーハンイー」とか「リャンガーコーテル」という符牒みたいな独自用語を「敢えて客に聞こえるように使う」ことで店内の雰囲気を高めていることがあります。なお、「イー:一人前」「リャン:二人前」「ガー:個」「コーテル:餃子」「ソーハン:炒飯」です。実は大したことは言っていないので日本語でも済むようなことです。
客ごとにラーメンの作り方を調整するのは本来手間で非効率でもあります。実際、家系や二郎系に慣れた客が、いつもの感じで他のラーメン店でコール(例えば「麺固め」)をしても店主が無視することもあります。店主の立場からするなら「店としてベストの状態のラーメンを出している」のに勝手に素人調整を要望するな、という話でもあるからです。本来は迷惑ですらあります。
ただそれでも家系はこういうシステムになっていますし、家系ラーメンと聞くとコールのことはすぐ思い出します。実際、「麺固め」でコールしている人には「こだわっている感」を出すことで満足するために「固め」と言っているようなところはないでしょうか。製麺所としては「普通」で美味しいように麺は作ってあるとも聞きますし、実際、普通の方が変に芯が無くて美味しいことが多いように思えています。
でも、そんなことは分かっていても家系に来たからには「麺固め」みたいなことを言いたいわけです。そういうことも人生の楽しさで人生の豊かさであるわけで、家系で食事をすることには、そういう体験が作りこまれているわけです。
「ライス無料」のよく考えられている感
もう一つ家系といえば「ライス無料」も特徴です。
こちらは「おなか一杯になってもらいたいから」という説明がなされていることがありますが、おなか一杯になってもらいたいだけなら「麺大盛り無料」でも目的は達成できますし、米を炊いて麺も茹でるという二度手間も生じません。ではなぜライスなのでしょうか。
まずはコールと同じく、こだわってライスを食べてくれという案内が店に張り出されていることがあります。ライスにすりおろしにんにくや豆板醤などをかけて食べてみよう、とか、家系初期からある伝統的な食べ方である、スープに浸った海苔でライスを巻いて食べてみよう、などです。
しかしそれ以上に(店にとって)重要だと思われるのは、「ラーメンのスープを使ってライスを食べること」を推奨していることです。ライスにラーメンのスープをかけて食べてみようとか、あるいは麺を食べ終わったスープにライスを投入してラーメンライスとして食べましょう、などです。
ラーメン店の経営にとって、特に油分の多い濃厚系のラーメンを提供している店にとって無視できないのが「スープの廃棄コスト」です。油分の多い液体をそのまま下水に流すと固まって詰まってしまうため、何らかの方法で処理費用をかけて処理しなければいけないのです。
店にとっての理想は処理費用が発生しないことであり、それはつまり「客がラーメンをスープまで完食してくれる」とか「少なくとも食べて油分を減らしてくれる」ことです。その上で「ライス無料」の意味を考えてみましょう。店にとっては「客のスープ消費を加速させる切り札」になっていますよね。
- ライス無料とは
- 客にとっては、卓上調味料やラーメンの海苔やスープを使って、工夫しながらライスを食べることができる「家系ならではの体験」の源
- こういう「食べ方の工夫を提案すること」は新しい家系のチェーン店でどんどん進化している感じもします(店独自の付け合わせが提供されるなど)
- 客にとっては「家系なら無料ライスのラーメンライスで確実におなか一杯になる」という鉄板の満足の源
- 店にとっては、客に喜んでもらえる上に、スープの廃棄コストまで減らせる一石二鳥の切り札
- 客にとっては、卓上調味料やラーメンの海苔やスープを使って、工夫しながらライスを食べることができる「家系ならではの体験」の源
こうやって考えてみると、よくできているなと思うのです。無料でライスを出すことで、客はおなか一杯になって満足できる、店主は廃棄費用が減って助かる。誰かが一方的に割を食うみたいなことがなく、みんな幸せになっているとても良い工夫に思えます。
「本当のイノベーション」とはこういうことではないか、とすら思っています。この現場の偶然からこのアイディアに気が付いて今の形にした人は、本当に世の中を前進させたと思います。
一方で「ライス無料」をめぐる苦闘
「本当によくできている」と思うのですが、一方で「家系とはライス無料である」というお決まりが出来たことによって、それによる難しいことも起こっています。
米価高騰が直撃
まずは、2025年の米価高騰。皆さんご存じの通り、あまりにもお米が値上がりしてしまい、一時期には入手すら難しくなりました。そんな状況では当然に「ライス無料」はコスト高になって提供が難しくなります。しかし、「家系といえばライス」だと思って店に来ているお客さんからすると、ライス無料ではないのは(頭では理由が分かっていても)がっかりであって、客足が落ちてしまう原因になります。
家系の成功を支えてきた「ライス無料」が、逆に悩みの種になってしまったわけです。それでもライス無料は家系の基本スタイルだろ、として続けるところもあれば、100円程度の少額での有料化としたところもあったように思います。100円であっても、支払ってまで食べるのか?という判断を一度挟むことになって消費されるライスの量は減り、おそらくスープの廃棄コストの方は増えているはずです。
今後、以前のような米価に戻って(できれば他の諸物価も穏やかになり)「ライス無料」が当たり前の時代に戻るのかもしれませんが、もしそうではないならば「家系的な体験」を維持しつつ、ライスをどういう感じで提供するのがベストなのかを、再度模索せねばならなくなっているはずです。
単純に食べない人とのトラブル
また言い換えれば「ライス無料」とは店主による太っ腹サービスというよりは、スープの廃棄コストを減らしたい本心を達成するためのサービスだったとも言えます。
しかして昨今、食べ物をがつがつ食う時代では無くなりました。ラーメンを完食してほしいわけですが、ライスを出しても完食されにくくなりました。挙句にライス無料ってことでライスを大盛りで用意したのに、ほとんど食べずに残してしまうために店主と揉めた話を聞くことや、「ライスは注文したからには残さず食べろ」とか「お代わり自由にしているから必ず食べられる分量ずつ注文しろ」といった張り紙を見かけることも増えました。
注文する側からすると、家系に来たからには家系体験をしたいとは思うのでしょう。「名物の無料ライス」を頼み、名物の家系的なライスの食べ方をあれこれやってみる、けれども本来は大食ではなくて、普段から出されたものは残さず食うべしという文化でも暮らしていないとかで、この辺でいいやと思って残してしまう感じかなと思います。
しかし店主から見ると、無料ライスの提供コストをかけたのに、スープの廃棄コストが減らないのみならず、ライスの廃棄コストまで増えてしまう「踏んだり蹴ったりの状態」でしかなく、しかも当人には悪気がなかったりするために店主から見ると申し訳なさそうな感じすらない、ということで、苦言を呈している店主がみられるようになったのでしょう。
その結果「ライスを注文したなら残すな」の張り紙が目立つようになったり、ライスお代わり自由だが器が妙に小さくて何度もお代わりせざるを得ない面倒なことがあったり、なんだろうなと思います。
「ライス無料」への試練(今は「変化の時代」)
「ライス無料」というのは良くできた仕組みだなと思うのですが、一方で世の中は変化するものでもあります。そして、自分たちが得た名声による世間の期待が重荷になってしまうこともあります。
米価高騰により前提としていたコスト構造が崩れるようなことや、時代の変化で顧客が変化することで顧客と店主の間での本音と建て前の間が大きくずれてしまってWin-Winの関係が崩れてしまうようなことも起こるわけです。
ライス無料を止めてしまうような対応もあるかもしれませんが、それではせっかく積み上げてきたものが台無しになる感じもあります。一方で、ライス無料は家系の魂の一部だから死守したいと思っても現実的には犠牲が大きくて難しいことも多いはずです。
現実的には、新しいコスト構造や新時代の顧客を想定しつつ、すっきりする解決策を見つけるというよりは微妙な調整が延々と続く感じになるのではないか、と思います。それが「探り探りで微妙に有料化する良い手を探る」とか「どういう張り紙で食べ残しを叱ると効果があるか」などではないかなと。
※そして、そのあたりの事情を知っている人は、スープを完食すれば店主のためになるわけですから、店を支えたいならばライスを頼んでスープを消費しましょう。
「イノベーション」について、「変化の時代」について考える
最近の世の中はとにかく色々と大変です。イノベーション(新しいこと)が必要だ、とか、変化の時代だから、みたいなことも盛んに言われます。
イノベーションの現実
イノベーションが必要だという話になると、ディープラーニングとかブロックチェーンとかの話題の最新技術のPoCみたいなことをやってみるとか、事業アイディアコンテストみたいなワークショップをして新事業について熱心に議論する、みたいな「新しい取り組み」がなされるも、どうにもうまく結果にならない、みたいなことは結構聞く話ではないかと思います。
一方で家系の無料ライス、そういう「新しさのある取り組み」である感じはありません。豚骨醤油ラーメンに無料ライスを気前よくつけてみたところ、廃棄コストが減ってどういうわけかみんな幸せになった、という話にはキラキラ成分はありません。でも、良くできている工夫です。現実のイノベーションとはむしろ、「既知のAとBをつないでみたところ予想外にいい感じになりました」みたいなことの方が多いのではないか、と思います。
ヨーゼフ・シュンペーターという経済学者が、イノベーションを生み出すものを「新結合(しんけつごう)」という言葉で呼んでおり、「既存の」モノや技術、アイディアを新たに組み合わせることが大事だと言っているのですが、「家系が発明したこと」はその通りになっているような気がします。
「変化の時代」の現実
また昨今「変化の時代だ」ともよく言われます。そういう掛け声では、果敢な行動みたいなことが推奨されていることがあると思います。もちろん、そういう行動が必要な状況もあると思いますが、「ライス無料」を襲っている変化において現実的に必要なのは、もっと泥臭くて、慎重さや辛抱も必要なタイプの取り組みに思えます。
我々が提供している「つなぐ」技術
当社では、多種多様なデータやソフトウェア、クラウドサービスなどをGUIだけで自在にデータ連携できるプロダクト「DataSpider」や「HULFT Square」を提供させていただいています。
データ連携で「つなぐ」必要性、あるいはデータ連携のために専用のツールやクラウドサービスがどうして必要なのか、すぐにはわかってもらいにくいことが現実にあります。
どうして、GUIだけでデータを自由自在に「つなぐ」必要があるか
「ライス無料」が生まれたような、「既存のAとBをうまく組み合わせることで素晴らしい結果が得られた」みたいなことがイノベーション創造で本当に必要なことだとします。そうであるなら、ITを活用してイノベーションを生み出すためには「自社にある多種多様なITシステムやクラウドサービス」「自社のさまざまな場所にさまざまなフォーマットで眠っているデータ」を、必要に応じて自在に組み合わせられる手段や環境が必要になるはずです。
また「変化への対応」において、泥臭い変更や調整を続けることが本質的に必要とされることならば、それはつまり業務や市場の事情に合わせて、現場主導でデータやITの活用方法を変更し続けられることなのではないかと思います。
それはつまり「必要に応じてAとBを自在に組み合わせる」とか「業務の現場主導で変更調整の作りこみを続けられる」ようなIT基盤が必要だということであり、それを具体的にすると「多種多様なデータやソフトウェア、クラウドサービスなどを、GUIだけで自在にデータ連携できる手段」となるのではないかと思います。
こういう「良くできている仕組み」を思いつけるか
再度になりますが、私が家系ラーメンと二郎系ラーメンのどっちに行くか、となったら二郎系ラーメンに行って、野菜マシマシにしていることが多いと思います(麺固めにするかどうかは思案する)。家系ラーメンの店は、そんなにたくさんあってもしょうがないので、他のジャンルのラーメンに変わってくれないか、と思うことも良くあります。
ただし家系ラーメン、それでも「仕組み」として良くできているなあとずっと感心しています。世間で店が増えすぎてしまうくらいには、よく考えられていると思います。
特に一昔前には、スティーブ・ジョブズのような変革人材の待望論みたいなのがどうもありました。我々はスティーブ・ジョブズには(多分)なれませんが、「ライス無料」みたいな仕組みだって世の中を真に前進させている偉大なイノベーションではないかと思います。そういうイノベーションなら、我々にもできることは多くあると思うのです。

